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代表 子奈(コナ)よりご挨拶
世界へ届け! シン・BON ODORI
人は、なぜ踊るのでしょうか。
心がふいに高鳴ったとき。誰かのぬくもりを感じたくなったとき。
あるいは、理由なんてなく、気がつけば体が動いていた──そんなこともあるかもしれません。
私は、踊りというものには、もっと深くて静かな“記憶” のようなものが宿っていると感じています。
それは、誰かの言葉を借りずとも伝わる気持ちであり、ひとつの所作に込められた、過去と今、そして未来へつなぐ手紙のようなもの。
そして、盆踊りが“輪” になるのは、偶然ではないと思うのです。
輪は、始まりも終わりもなく、誰かの前であり、誰かの後ろでもある。誰もが上下なく立てる、自由で対等なかたちです。
同じ輪の中で、ただ静かに、互いを受け入れ合っている。
踊りながら視線が交わり、呼吸が重なり、声にならないものが行き交う。
“輪” というかたちが、私たちの身体と心を、自然とつなぎなおしてくれる。
だから人は、輪になって踊るのだと思います。
踊ることで、自分の中の忘れていた感情と向き合い、遠くにいる誰かと心を重ね、時を越えた命の記憶と響き合う──
一方で、踊りには「何も考えない時の中」に自分を委ねることもあります。
何も思わず、ただ体を動かしているうちに、やがて心のざわめきが静かに消えていく。一曲踊り終えたあと、ふと気づくのです。
さっきまで心を占めていた重たいものが、どこかへすっと消えていることに。
盆踊りは、人とつながる踊りであると同時に、自分自身を“無” へと還す、やさしい儀式でもあるのだと思います。
さて、私は新潟県新潟市で生まれ育ちました。
私がまだ子供の頃の地元新潟は、夏になると、町の真ん中にやぐらが組まれ、太鼓の音が響くと、子どもも大人も集まり、自然と踊りの輪ができました。
「新潟甚句」や「佐渡おけさ」….
毎年7月に入ると、放課後にはこんな光景がよく見られました。
高学年の子が下級生に踊りを教える。誰かに教えてもらい、踊れるようになったら、今度は自分が教える番。
それは、ただ振り付けを覚えるためだけの時間ではありませんでした。
そこには、人と人とが自然につながり、思いやりや誇りが育っていく、あたたかな循環があったのです。
でも、ある年、帰省した私は衝撃を受けました。町から「佐渡おけさ」が消えていたのです。
踊られなくなった理由は、ただ「難しいから」
それだけで、本当に消えてしまうものなのか──
あの踊りには、土地の言葉が、風の音が、暮らしのリズムが、そのまま息づいていたのに。
踊る人がいなくなれば、それらも一緒に失われてしまう。その現実に、私はただ立ち尽くすしかありませんでした。
実は、その頃私は日本舞踊の世界でも活動していました。
そこには型や所作の美しさ、礼儀、緊張感、そして覚悟がありました。
学ぶほどに日本文化の深さに魅了される日々でした。
しきたりに裏打ちされた伝統の中で学びながらも、その厳格さの先に“もう少し自由な表現もあったなら” という思いが心のどこかに芽生えていたことも確かでした。私は決してそのしきたりを否定しているのではありません。むしろ、敬意をもって受け継がれるべきものだと思っています。
しかし、もっと外に開かれた形で、たとえば誰もが自然体で舞える踊りの在り方も、あっていいのではないか──そんな思いが、少しずつ心の中で膨らんでいきました。
そして思い至ったのです。
「だったら、自分で新しい“輪” をつくろう」
「自由で、美しくて、でも根っこにはちゃんと文化の記憶が息づいている」
そんな輪を… それが、2015 年に発足した『盆女』のはじまりです。
私は仲間たちとともに、“見せる踊り” と“みんなで踊る踊り” のどちらにも偏らず、共通して宿る豊かさを大切にしてきました。
音楽はDJ だったり、太鼓だったり、バンドだったり、どんな形であっても、私たちの踊りの中には、所作の豊かさや心の余白が流れています。
上手い・下手ではなく、誰が踊ってもその人なりの味わいや空気が生まれる、そこにあらわれる心の揺らぎや表情、所作のひとつひとつが、踊りに命を吹き込んでいく。
そうした“人そのものの豊かさ” を、私たちは大切にしています。
それは、誰にでも開かれた盆踊りという文化の大切な魅力であり、同時に、日本の暮らしや人々の心が育んできた“共に踊る” というその瞬間に生まれるやさしい一体感こそ参加者全員が共有できる「たからもの」だと思います。
ありがたいことに、盆女はさまざまな舞台に立たせていただくようになりました。
東京ドーム、増上寺、神田明神、東京タワー、水族館。そして、2021 年には東京オリンピックの閉会式にも出演しました。
でも、どれほど舞台が大きくなっても、私たちが届けたいのは、あの頃の” 町の盆踊り” のようなぬくもりです。
みんなで集まり、輪になって、笑ったり、踊ったり。その中で、誰かの心が少しやわらかくなるような、そんな時間を届けたいのです。
いま、私たちが目指しているのは、「各都道府県ひとつひとつにその地域の伝統と暮らしの中に溶け込んだ盆女を!」という、地域に根ざした輪を広げていくことです。さらに、その広がりの先に、もうひとつの願いがあります。
それは、この踊りを、世界へと届けること。
近年では、私たちのパフォーマンスを観て、踊りに参加してくださる海外の方も増えています。
国や文化の違いを越えて、拍子や太鼓のリズムに身をゆだね、笑顔で輪に加わってくださる姿に、「盆踊りには、言葉を超える力がある」と実感する瞬間が何度もありました。
そうした出会いを重ねるたびに、私は思います。
盆踊りは、日本人だけのものではなく、“ともに生きる喜び” を表現する、世界中の人が共有できる文化なのだと。
やがて「BON-ODORI」という言葉が、世界で通じる日が来たら──それは、単に日本文化が広まったということではありません。
輪になって踊ることが、人と人の境界を越えて交わる“心の動詞” となったとき──そこには、国や言語を超えた人類の共感の原風景が立ち上がっているはずです。
だからこそ、私たちは日本の地域で根を張ることと同じくらい、世界に向けて盆踊りの魅力を発信していくことにも、これからも本気で取り組んでいきます。
盆踊りは、祈りであり、記憶であり、暮らしの営みです。
生きてきた人の数だけ、踊りがある。
だから私たちは、これからも踊り続けます。
どこかの街で、ふとした時に、あなたが私たちと出会ってくれたなら、どうか、輪の中に加わってみてください。
踊りのリズムが、あなたの中の懐かしい記憶をそっと揺らすかもしれません。
それがまた、誰かの心に届いて、未来へと続いていくことを願っています。
子奈
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実績
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